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Church History 開拓ストーリー 林田清隆

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「子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。・・・あなたは右と左にふえ広がり、あなたの子孫は、国々を所有し、荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。」イザヤ書54章1〜3節抜粋

 神戸での開拓伝道が決まった頃、私に与えられた青写真に沿って、主はこの御言葉をもって励まし、西神の地に送りだそうと、私たちを整えてくださったと思います。子を産まなかった女が多くの子供たちを持つようになる。天幕の場所を広げよとおっしゃる主が、それに先だって与えてくださった御言葉がこれでした。開拓伝道は人間的な観点から見ると、決して容易なものではないことは想像できたのですが、家内を通して与えられていた別の御言葉と共に、主は行く道すがらを光の御言葉を通して、私の足もとを照らしてくださったのでありました。
 働きの結果というものが、保証されていたわけでもなく、絶対にうまくいく方策といったものもない中での働きの始まりでしたが、ひとつだけ決めていることがありました。それは、春日台公園の山の上から町全体を見渡して祈ることで、この地に移り住んでさっそく実行に移しました。地の四隅に手を伸ばして、主の勝利と主権を宣言する日々でありました。まだ少数の人しか住んでいなかった町でしたが、工事中の家々や、未整地の土地を見ながら祈り、宣言していました。

1985年 伝道の始まり

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 1985年9月1日、第一回の礼拝をささげました。先に西神ニュータウンに移り住んでおられたダーリッド宣教師夫妻と私たち夫婦の4人で、和室のテーブルを囲んで、記念すべき時でした。それはささやかなものでしたが、少し大げさな言い方をすれば、未知の領域に、後ろの橋を切り落としての第一歩だったのでした。ある人には開拓伝道の賜物があるとか、ある人には牧会の賜物があるなどの言い方がなされることがありますが、自分にどの賜物があるという考え方にはあまりこだわりはなく、実際にその場でやるべき事をやるだけでした。ただ言えることは、主は最前線の場で必要なものと知恵とを必要な時に備えてくださるということです。ただ信仰によって第一歩を踏み出す時に、主はそこに伴ってくださいました。

 2600枚。それがこの町全体に必要なチラシの枚数でした。ダーリッド師と私の二人が二、三日もあれば配りきってしまう枚数でしたが、一軒一軒チャイムをならして教会案内もなされました。当時、何やらひげの外人と若い日本人が戸別訪問する様子は、興味を引く光景であったかも知れませんが、そこで出会った方々が、今は教会員となっておられます。
 実際のところ確実な伝道の方策といったものはあるのでしょうか。これをしてうまくいったとか、あの方法で人が救われるようになったとかいう証を聞くこともあるのですが、私たちの開拓伝道においては、それをしてもすぐには結果はなかったというのが正直なところです。しかし、私にはすでに強力な手だてがありました。妻の支えと一致です。「あなたがたのうちふたりが心を合わせて祈るなら、天の父はそれをかなえてくださいます。」の御言葉によって引き合わされた私たちでしたが、伝道の働きにおいてもこの御言葉は真実であり、妻なしでは考えられない働きでし、これからもそうです。


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 この時期の集会の中心は礼拝と教会学校で、教会学校は妻を中心に二人で週に三回も持ちました。最初の生徒たちは言うまでもなく、私たちの二人の息子でした。そこにチラシ案内で出席を始めた子共たちが加わり、リビングは結構にぎわっていました。ある時期には小学校の一割の生徒がチャペルに出入りしていました。幼稚園入園前の幼児とお母さんのための「ラムちゃんクラブ」も毎週もたれ、よい伝道の時となりました。また、ダーリッド先生夫妻による壮年や婦人のための英語クラスもご近所へ教会への門戸を広めるために大切な働きとなりました。


1988年 転機

 どのような働きにも転機があるものです。ダーリッド先生ご一家の帰国の時の到来と共に、いよいよ私たちだけで(もちろん主はおられたのですが)働きを継続していく時が来たのです。この時までの三年の種まきも空しく感じるほどに、人々はそれほど加えられず、おまけに、私が喘息にかかってしまい、夜も眠れない日もたくさんありました。今振り返ると、こういった試練は魂の収穫のためには避けては通ることのできない霊的な戦いであると思います。
 そのような時、ある夏の深夜でしたが、今も忘れることのできない経験をしたのです。この町の上で、地も張り裂けんばかりの雷鳴が、それも私たちの頭上すぐのところで一時間半の間鳴り続けたのでした。「実に主はここに降りてこられた。」明くる朝の妻の一言に私も同意しました。
    「主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。
             ・・・主は天に雷鳴を響かせ、いと高き方は御声を発せられた。」詩篇18:9〜13抜粋

私たちはこの自然現象を伴う御言葉の意味をかみしめ信じました。

 さらにその翌年1989年の正月に、私は夢を見ました。これがまた不思議、いやおめでたいと言った方がいいでしょう。そこに出てきたのはたくさんのツルとカメ。伝道は楽しくあれば幸いなことなのですが、長い年月ではなかなかそうばかりではなく、かえって戦いを感じる時も多く、失望だってあるわけです。そのような中で見た夢ですから「これは主です」と言わざるをえない上からのものであったと信じられたのです。私が見ていると、教会の敷地の中にツルたちが歩き回り、カメたちも歩いているのです。よく見ると、それらは「たまご」も生んでいるではありませんか。そして、また見るとカメの中には死んだようになっているものもいました。そこで私が手でそのカメを持ち上げると、なんとカメは生き返ったように足をバタつかせて元気を取り戻しました。
 この夢は兄弟姉妹にも分かち合いましたが、「教会はこのようになる」と、仰せられる主の御声ととらえることができました。その年1989年には、はじめて10名の兄弟姉妹がバプテスマに導かれました。

1992年「西神キリスト教会」教会設立

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 この年の初めに、教会は経済的に自立が可能となり、それまでのJECからの長年にわたるサポートを終了し、10月には正式に伝道所から「西神キリスト教会」として新たなスタートを切りました。設立式の会場となった春日プラザのホールにはJECの諸教会からたくさんの先生方、兄弟姉妹がおいでくださり、32名の教会員と共に教会の出発をお祝いしました。
 この年は、開拓始まって以来の試練の時でもありました。霊的な戦いを余儀なくされましたが、主はご自身の真実にかけて主の教会を守ってくださいました。この頃から、教会には重荷を共有される方々が起こされてきました。試練を通して、教会に節目が入れられ、強くされたようです。
 この年の初めには、牧師館兼用のチャペルは狭くなったこともあって、聖日には西区民センターや春日プラザを礼拝場として借りて使い始めました。礼拝用具を車に積んで会場に搬入し、終われば持ち帰るといったやり方は、まるで放浪の民イスラエルのようで設立の頃から丸三年続きました。

1995年 1月17日 阪神大震災

 予想だにしなかった大震災は神戸を直撃し、多くの被害をもたらしました。開拓伝道開始から10年目に入り、思いも新たにされようとしていた頃でもありましたが、不思議なことに、足もとを激しく揺り動かされたこの日以来、九州生まれの大阪育ちの私が時に肌合いの悪さを感じていた神戸が私の町となりました。実際にこの町は私も妻も人生で一番長く住んだ町となりました。
 この地震の日から集会所は使えなくなり、ふたたびリビングに戻って来た頃、教会では会堂の求めが強くなってきました。礼拝ごとに物を運ばなくてもよく、いつでも自由に使える自分たちの礼拝堂。開拓当初は夢でしかなかったものが、必要の高まりと、教会の成長と共に目の前のものになってきたのでした。

1997年 会堂建築

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 この年の6月に念願の会堂建築が始まりました。遅延がちだったこの工事で特筆すべきは、兄弟姉妹の主を愛するが故に、教会建築にも示された献身的姿勢であります。それはまず多くの尊いささげ物を通して示されました。また工事の時にも右手に金槌、左に聖書をかかえて教会に通い、祈り終えると、さあ作業といった日々であり、足場に登る婦人方の勇姿は今も脳裏に焼き付いています。土曜日には壮年も駆けつけてくださいましたし、若者も子供もみんな作業に加わりました。当初予定になかったことですが、信じられないほどの部分が私たち自身の手による工事となりました。教会員の名前と御言葉を書いた石を壁に貼るセレモニーは信仰の行為として貴重なひとときでした。竣工までには思った以上の月日がかかりましたが、終わってみればこれも恵み、主の守りに感謝します。

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 この建築を通して得られたものは、建物が建って礼拝がしやすくなったという、見えるところの便利さ以上に、キリストのからだとしての教会がより強さを増したということでしょう。いにしえの帰還の民が宮を再建したとき、その喜び叫ぶ声は遠方まで及びましたが、2000年3月の教会の献堂式はまさしく民の喜びの祭りでした。





2005年 グレイス神戸ミッションチャーチへ

 教会の名称を「西神キリスト教会」から「グレイス神戸ミッションチャーチ」へと改名しました。開拓当初は西神ニュータウンの教会として始められましたが、私たちの思いは広げられていきました。教会がある程度の規模になると、そこで満足し、留まってしまいやすいものです。しかし、約束の地に入ったイスラエルの民が町々を獲得していったように、私たちの目の前にはまだまだ獲得すべき町、人々が残っているのです。主から与えられたビジョンに向かって前進を止めるわけにはいきません。さらに信仰によるチャレンジを続けていきます。計り知れない主の恵みを土台とし、主からの使命を全うしていく、その信仰を名称の改名という形でも表しました。

   

2015年10月 新会堂

 グレイス神戸ミッションチャーチと改名して10年、西神ニュータウンの春日台3丁目のマルゼン春日台ビルの3階に、新しい会堂が与えられました。

 春日台の病院通りの一角に位置し、周辺には商業施設、中学校、小学校、幼稚園があり、非常に良い立地条件です。神様がこの場所で、世界の光として輝きなさいとおっしゃっていることを信じて、歩んで参ります。

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当教会はJEC(日本福音教会)に所属するプロテスタント教会です。

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